2010年10月24日日曜日

ソーシャルなるもの

これまで聞いた話や読んだ本を総合すると、「伝統的」なソーシャルビジネスと通常のビジネスとの違いは、極論すると、財/サービスの違いではなく、サプライサイドがどういう意図を持って財もしくはサービスを提供しているか、にあるように思えます。

これを図にするとこうなります。既存の事業をうまく表現する言葉が無かったので、あえて"Greed"としました。


DemandとSupplyの二つの円をあわせるとこうなります。


こうしてざっくりとセクターごとに見ると、双方から提供されるサービスの差はそれほど大きく無さそう、というのがしっくりくると思います。例えば、真ん中に位置する、水・道路といったインフラ、医療、ファイナンス等はSocial/Greedの双方から提供される財/サービスです。

但し、両者共に制約条件があり、地域・経済水準によって提供される財/サービスに違いがあります。Greedは、少なくともコストを上回る値段での買い手がいない市場では財/サービスを提供しません。あるいは、規模の経済がはたらく事業では、クリティカル・マスに達しない市場に参入しません。対して、Socialは、リソースに限りがあります。従って、全ての財/サービスが全ての人間にあまねく行き渡っているわけではありません。

従って、途上国の所得が低い層にとっては、こんな感じに見えるのではないでしょうか。


ということで、Socialの側も、Greedの側も、緑・オレンジに色が着いた枠を広げようと頑張っています。Social側からすると、緑の枠を広げていくことに社会的意義を見出していて、Greed側からすると、オレンジの枠を広げていくことでオカネがもうかるようになっています。この枠を広げる方法は、技術革新・事業モデルの革新など、色々あると思います(※この枠を広げること自体をソーシャルと呼ぶのが最近の社会起業だと思います)。

どっちの側に属していても誰かの生活を良くすることは出来そうです。でも、片側だけでは世の中は成り立たなそうです。そして、どちらの側にいるとしても、枠を広げる仕事というのが一番面白そうな感じがします。

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